悩んでいるあなたへ

今井友明

今井 友明さん

1983年生まれ。千葉県出身。三菱商事、TOKYO SUNS所属。2009年から車いすラグビーを始め、2013年に日本代表に選出。2015年にはアジア・オセアニア・チャンピオンシップ優勝に貢献し、ベストプレーヤー賞(1.0クラス)に輝く。2016年リオデジャネイロパラリンピックにて日本代表チーム初めてとなる銅メダルを獲得。2018年の世界選手権でも主要メンバーとして活躍、初優勝。

「当たりまえがしあわせ」と気づかせてくれた父にありがとう。


僕はいま、車いすに乗ってプレーする「ウィルチェアーラグビー」というスポーツで、パラリンピックの金メダルをめざしている。仲間といっしょに、世界一になれると本気で信じている。

でも、僕がみんなと同じように学校に行っているとき、いまみたいに前を向いて、目標をもって生きることができなかった。生きているのがつらい、はやく楽になりたい、と思いつめていた。中学3年生の夏休みの最終日、首の骨を大けがしてしまったんだ。

けがをして、数日たって病院で目をさましたとき、なにが起きているのか、まったくわからなかった。目は動く。でも、ゆび、うで、あしが、ぴくりともしない。

僕のとなりには、母親がいた。涙がかれてしまうくらい、ずっと泣いていた。僕は天井をただ見つめることしかできない。それからしばらく経って、いっしょう車いすで生活することを知った。

「もう生きているのがつらい」と思っていた僕が、「世界一になれる」と信じられるようになったのは、なぜだろう? 僕が起きたことは、もしかしたら、みんなには当てはまらないかもしれない。でも、なにかのきっかけになるかもしれない。

だから、「そういうこともあるんだ」くらいの気持ちでもいいので、このまま話を聞いてくれたらうれしい。

今井友明

絶望していた僕が、ちょっとずつ未来を見られるようになったのは、「応援」のおかげだ。ほんとうにたくさんの人が、僕を応援してくれた。ここでは全部の人をあげられないけど、1つだけ、忘れられない応援をみんなに伝えたい。

それは、父親からの応援だ。けがをして数か月、まだ首から下が動かなかったときのこと。父とはけんかをしていたわけではないけれど、けがをする前から、いっしょにいる時間が少なくなり、遊ぶことも話すこともあまりなかった。中学3年生の子には、よくある話かもしれない。

それから僕はけがをして、父は病院に来てくれていたが、そのときの僕は自分が起きたことを受け入れられなくて、父のことなど文字どおり目に入っていなかった。でも、早く楽になりたい、何もしたくないと思っていた僕に、「外の空気って、こんなにおいしいんだ」と気づかせてくれたのは、まぎれもなく父だった。

僕の入院中、病院の近くがコースになるマラソン大会が行われることを知った父は、もともとマラソン好きということもあり、大会に参加することに。大会当日、僕はまだ起き上がれなかったけれど、母たちが鏡などを使って、父の走る姿を見られるようにしてくれた。

父はかっこよかった。父の応援に勇気をもらった。
そして、久しぶりに吸った空気が、おいしかった。

それから僕は、ふつうに生活するって、なんてしあわせなんだろうと思うようになった。リハビリをしていくうちに、ちょっとずつ体の一部が動くようになっていくと、そういうふつうのことが、ありがたいと思えることができた。

今井友明

父のマラソンがなかったら、きっと「当たりまえがしあわせ」なんて思えなかっただろう。できるようになったことではなく、できなくなったことにばかり目を向けていたと思う。

「もう生きているのがつらい」と思っていた僕が、「世界一になれる」と信じられるようになったのは、なぜだろう? それは、父をはじめ多くの人がくれた応援を力に変えて、「当たりまえ」をいっぱい集めてきたからだと思う。

僕の話を聞いてくれて、ありがとう。いまのところは大きな目標がなくても、当たりまえを大切にすることからはじめるのも、いいかもしれないね。

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