なにげない一言をくれた友だち、家族にありがとう。
好きなスポーツを好きなだけやる。
好きなところに行きたいときに行く。
そんなあたりまえのことが、もし急にできなくなったら、みんなはどんな気持ちになるかな?
僕は小学4年生のとき、急に腰が痛くなって、病院に入院することになったんだ。友だちと野球をするのが毎日の楽しみで、からだを動かすのが大好きなスポーツ少年。それが突然、病気になって、もう自分の足で歩けなくなり、これから車いすで生活することを知って、最初はショックだった。
きっとみんなも、もし急に歩けなくなったら、つらくて、かなしくて、やりきれない気持ちになると思う。「ああ、もう好きなことができなくなっちゃうのか」と僕も思った。
でもね、退院して、車いすで学校に行ったら、友だちにこう言われたんだ。
「しんご、バスケやろうぜ!」
マンガの『スラムダンク』が友だちのあいだで大はやりで、知らないあいだに、みんなバスケットボール部に。「あれ、野球はどうしたの?」と思ってちょっとびっくりしたけど、それからは、来る日も来る日も友だちとバスケをするようになったんだ。
僕は車いす。だから友だちはすこし気にしていたけど、すぐに忘れて、車いすなんてお構いなしにぶつかってくる。僕はしょっちゅう倒れる。それでも友だちはがんがん来る。やっぱり倒れる。
僕はうまくなりたいから、放課後にひとりで練習。そしたら、車いすを使うのも上手になって、チームメンバー分けで早く選ばれるようになったんだ。
みんなで野球をやって、思いっきり楽しむ。それと同じくらいのよろこびを、歩けなくなっても味わえたことが、ほんとうにうれしかったなあ。
みんなのまわりには、僕みたいな、みんなとはちょっと違う子、ちょっと変わっている子、いるかな? そういう僕みたい人がいると、最初はどうやって声をかけたらいいか、何をしたらいいか、たぶんよくわからないよね。
実は僕も、車いすで学校に行くとき、これから友だちと何をして遊ぶんだろう? これまでみたいにはできないのかな?と、不安だった。だから、僕も友だちも、おんなじ気持ち。
その不安な気持ちが、パーンとはじけたのは、友だちの「いっしょにあそぼうぜ」っていう、なにげない一言だったんだ。あの一言があって、いまの僕がある。
ふりかえると、僕はなにげない一言に、なんどもなんども助けられたんだ。
「車いすテニス、やってみない? 近くに車いすテニスの教室があるんだけど」という母親の一言。
「おお、しんごくん、いいスイングだね」という憧れの選手の一言。
「パラリンピック、今回は出られなくても、別にいいじゃない」という妻の一言。
そして、僕を応援してくれているファンの人が試合中に言ってくれた一言。
教室を見わたすと、みんなのまわりに、いつもとちがって元気がなさそうな友だちがいるかもしれない。悲しそうにしている、困っているように見えるクラスメートがいるかもしれない。
もし、そういう子がいたら、なにげない一言を、かけてみてほしいな。
「いっしょにあそぼうぜ」とか、「元気? どうしたの?」とか。
そういう、なにげない一言をくれた小学校と中学校のときの友だちが、僕にとって、いまでも一番の友だちなんだ。